何も物語が生まれないと思い込んでいる日常が、鮮やかに立ち上がる瞬間。
小さな世界、猫たちのルール、ゆるやかな変化と調和。
不満と諦め、たまにきらめき。
「平和」はいつもわたしたちの手の中にある。
今日マチ子(漫画家『センネン画報』『みかこさん』)
ネコとネコの関係、ヒトとネコの関係、ヒトとヒトの関係。
なにも色のついていないまっすぐな目線で映し出される。
なにを本当に愛おしく思っているのか、なにを最後まで抱きしめていたいのか、すこしだけ浮かびあがった気がした。
できればネコに生まれたかったけれども、ヒトとして、ネコみたいに
ただ生きてるだけで美しく、偉く、生きれるようにがんばりたい。
坂本美雨(ミュージシャン)
何だろう。こびりついた心の澱が一枚ずつ剥がれていく。かつて私 達は生まれたときから日常の全てが観察だった。
遍く世界に自らの 感覚を委ね自由に転がすことの喜びと言いようのない畏れ。
ピース にはそれが隅々にまでいきわたっている。ああ, なんて心地のよい 映画なんだろう。
それでいてかくも心を掻き乱される。想田監督の 解き放された感覚に激しく嫉妬した。
早瀬憲太郎(NHK「みんなの手話」講師/映画監督)
足の不自由な猫に、耳の聞こえない自分自身の姿を重ねてしまう。 猫の社会に 引っ越しても結構大変そうだ。
日本語字幕版を見たが、これは岡山 弁字幕版である。面白い。
岡山の地域社会、路地裏にありふれた人の生活ではあるが、75 分27 秒の観察を通して、人の共生と平和、
そして為政者への折り合いを どうつ
けようか、着地点を探す旅の友としてこれ以上に面白い映画はない。
大杉 豊(筑波技術大学 准教授)
この作品には得体の知れない思想が感じられる。
それは、社会規範や日常に身を任せっぱなしの惰性心に、ざわめきを生む。
ぬるま湯の中の沸点(もしくは氷点)。
それが、この映画を見終わった私の素直な感想だ。
竹内薫(科学作家)
流れる時間の濃密さに心をまかせて観た。
決して急がず力まず、他者と時と場を共有する。
そこで生まれる関係こそが「平和」につながっている。
山本昌知医師(こらーる岡山)
「観察映画」を通して見た世界は、なんでいつもこんなに豊かな問いと、驚異的な瞬間に満ちているんだろう?
いや、我々が生きるこの世界とは、そもそもそのような場所なのかも――とまで思い至らせるところに、「観察映画」の、想田監督の凄さがある。
「番外編」の今回も、“撮れてしまったもの”と“浮かび上がってしまうもの”のせめぎ合いがこれまで以上にスリリング!
ライムスター宇多丸(ラッパー/ラジオ・パーソナリティ)
映画を見るとき、人は自分を通行人に重ねたりはしません。でもこの作品ではあなたも私も、風景の一部。猫も車いすも、ダニもネクタイも、 横断歩道の向こうのあの人と同じように、ありふれたかけがえのない存在なのです。お金じゃはかれないものや、とりとめのない会話が世界をちょっとましにすることがある。誰もが等価で無二であるという当たり前が、きっと平和。
小島慶子(ラジオパーソナリティー)
『Peace』は人の心を動かす並外れた力を秘めた静かな映画だ。人々や猫たちの日常生活を追いかけながら、カメラは観客をひとつの発見へと導く。それは、最も根本的な意味での平和というコンセプト――妥協しながら渋々受け入れる共存ではなく、私たちの人間性の中心にあるアイデアとしての平和である。映画はありふれたものを通じて崇高なものに到達した。
香港国際映画祭審査員:カーマ・ヒントン、ルビー・ヤング、藤岡朝子
手作りで可愛らしい『Peace』は、クオリティの高さをはっきりと示していた。表面的には、本作は福祉に携わる人々、特に高齢者や障害者の介護をする廣子と寿夫の夫婦についての物語である。しかし、想田のカメラは、さりげなく被写体を観察しながら、主題にこだわらず、むしろテーマから映画を解放して、「あらゆること」についての映画に仕立てあげている。想田は最も興味深く自由なドキュメンタリー・アーティストに成長した。
ロバート・コーラー 「Film Comment」誌
想田の映像は長く心の中で共鳴し、容易に忘れられぬ問いの数々を残す。
バーバラ・ストー「The Bulletin」
逆境のもとで静かに協力し合う人間の姿を描いた『Peace』には、日本が地震と津波に見舞われた今新たな意義が付与された。
本作は、人から人へ、猫から猫へと、軽々と流れるように、完璧な冷静さを保って進んで行く。
ロニー・シャイブ 「VARIETY」